🌟「非暴力の闘士」バチャ・ハーンと青年たち

★「非暴力の闘士」バチャ・ハーン。その壮絶な人生に息を飲む思いです。

英国植民地時代、またパキスタン独立後も投獄され、その期間はあわせて37年とも。葬儀には20万以上が参列し、旧ソ連侵攻を経た戦下のアフガニスタンでは休戦が宣言されたといいます。

そして今。今も紛争と暴力に苦しむ地域一帯。過激思想が広がり、暴力や武装闘争を標榜する人たち・勢力がある中、非暴力思想は力を失ってしまったのでしょうか。そんなことはありません。

今号では、パキスタンの青年たちが実施した、バチャ・ハーンの非暴力哲学を学ぶ会についてご報告します。その前に、この活動の背景をご説明させてください。

★バチャ・ハーンは、非暴力で英国植民地支配に抗い、ガンジーとも活動をともにしました。ガンジーと同じく、独立した、分割されない、世俗の国家を望み、ヒンドゥ教徒が多数のインドとイスラム教徒が多数のパキスタンに分かれることにも反対しました。これにより、イスラム教徒の間に多くの敵を作ってしまったともいわれます。

アフガニスタン、パキスタンにまたがって住み暮らすパシュトゥン人の権利のために闘いました。この問題は、パキスタンの分割につながるといった警戒感なども強く、非常にセンシティブな問題です。

パキスタンのペシャワールで亡くなり、墓所は、自身の望みにより、アフガニスタンのジャララバードにあります。両都市ともパシュトゥン人が多い地域にあります。葬儀には20万以上が参列し、旧ソ連侵攻を経た戦下のアフガニスタンで休戦が宣言されたといいます。

★アフガニスタンでは、旧ソ連侵攻、内戦、荒廃、9/11後の米国を中心とする軍事介入もあり、地域一帯には過激思想、暴力、武装闘争の標榜も広がりました。同国とパキスタンの国境付近は、両国政府や外国軍と闘う武装勢力の拠点ともなりました。現在でも、両国は紛争と暴力に苦しんでいます。バチャ・ハーンの非暴力哲学は力を失ってしまったように思われるかもしれません。しかし、そんなことはありません。今でも、社会の変革のため、様ざまな形で、非暴力で闘う人たちがいます。

そうした中、パキスタンの青年たちがバチャ・ハーンの非暴力哲学を学ぶ会を実施し、現地から以下のような報告が届きました。当団体は、パキスタンでは、現地の人びととともに、青少年が平和を学び合い、何らかのピースアクションを発案・実施する活動を行っており、今回の会もその1つです。ぜひ、ご覧ください。United for Peace.

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★「非暴力の闘士」バチャ・ハーンと青年たち:
「バチャ・ハーンのレジリエンス(折れずに適応・回復する力)は、逆境に直面する時、力は、報復ではなく、落ち着いて、原則・信念を持ったままでいる能力にあることを示し、多くの人たちにとってインスピレーションの源となった。」
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★バチャ・ハーンの非暴力哲学について、現代の社会やコミュニティの課題に取り組むにあたってのその関連性を強調し、意識啓発を行う会が、平和の学び合いに参加した青年たちによって実施され、青年リーダーたち、大学の学生、教育者、地域の人たちが参加しました。

バチャ・ハーンは、その人生を、教育、社会変革、コミュニティの動員を通して平和を促進することにささげました。その考えの体系は、紛争が起こりやすい地域でしばしば広く行き渡る暴力と不寛容の風土への強力な対抗思想として際立っています。バチャ・ハーンは、真の力は、耐えること、レジリエンス(折れずに適応・回復する力)、許す能力にあると信じていました。力をつけてもらうための、そして平和のための変革手段としての教育の強調は、世界中の個人やコミュニティを触発し続けています。

★会では、バチャ・ハーンの人生についての説明がなされました。ガンジーとも活動をともにしたこと、非暴力で英国植民地支配に抗った運動をいかに設立したかも説明されました。この運動は、武装闘争がしばしば自由への唯一の道としてみられるときにあって、平和的抵抗の力を示したものであり、ユニークなものでした。

そして、バチャ・ハーンが、いかに、度重なる投獄、ハラスメント、政治的弾圧に直面したしたにもかかわらず、確固として非暴力を貫いたかが説明されました。バチャ・ハーンのレジリエンス(折れずに適応・回復する力)は、逆境に直面する時、力は、報復ではなく、落ち着いて、原則・信念を持ったままでいる能力にあることを示し,多くの人たちにとってインスピレーションの源となりました。

★また、バチャ・ハーンの非暴力哲学が、いかに、家族、コミュニティ、社会全体の中での平和を提唱し、政治闘争を超えて広がったかも強調されました。

参加者は、これらの価値が、コミュニティの争い、不寛容、分極化といった現代の課題に、いかに取り組みうるか深く考えるよう促されました。

★平和なコミュニティを築くための礎石としての教育、共感、対話の重要性が強調されました。また、教育が-特に女性や周縁化された集団には-社会の進歩やエンパワメント(強くすること)にとって決定的であると、いかにバチャ・ハーンが信じていたかが強調されました。参加者は、家族の中で、また多様なコミュニティを横断して、の双方で、理解や協力を促進するにあたっての教育が果たす役割について、批評的に考えるよう促されました。

★そして、グループ議論も行われ、非暴力のアプローチがいかに自身の個人的、職業的人生に組み込まれうるかを深く考えることが参加者に促されました。参加者は争いへの対処の自身の経験を共有し、バチャ・ハーンの教えによって触発された平和的な方法をいかに取り入れられるか探りました。

★そして、実生活の争いのシナリオをシミュレーションするロールプレイのエクササイズも実施しました。参加者には、対立ではなく、対話、アクティブリスニング(能動的に聴くこと)、共感を用い、争いの解決を図ることが課されました。

★そして、参加者によって、バチャ・ハーンのメッセージを自身の関係の輪の中で共有するため、日々の生活そしてコミュニティにおいて非暴力を促進する共同の誓いもなされ、そのレガシーがポジティブな変化を触発し続けることを確実にしました。

★以下、参加者のコメントです。

◎「バチャ・ハーンの人生について学ぶことで、私は、平和とは単に暴力がないことではなく、尊重と理解をもって争いを解決する意識的な選択であることに気づかされました。確固として非暴力を実践したことー逆境に直面してさえーには、本当に気持ちをかき立てられます。」

◎「グループエクササイズは、対話は人びとの間の最も大きなギャップさえも橋渡しできることを私たちに示してくれました。アクティブリスニング(能動的に聴くこと)と共感が、いかに激しい議論を建設的な会話へと変えうるかを見るのは、目を開かされるものでした。」

◎「このセッションは私に、非暴力的コミュニケーションとピア・メディエーション(仲間同士の仲裁)を促進するために、私たちの大学で、ピースクラブを開始しようという気を起こさせてくれました。そのような取り組みは、波及効果を生み出し、私たちのコミュニティの中に平和の文化を育むことができると信じています。」

◎「このセッションで、私たちが、当時とても広く親しまれていた共通したスローガン「私たちのバチャ・ハーンの(哲学が)必要だ」をいつも暗唱していた、若い、学校に通う少年たちだった、自分の昔の頃を思い出しました。今、このセッションの後、懐かしい喜びの感情を持つだけでなく、意味も知らずに私たちがいつも唱えていたこのフレーズの真の意味に気づいています。」

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🌟「非暴力の闘士」バチャ・ハーンと青年たち。平和をつくる人たちがいる。United for Peace.

🍀Dear Friends in Pakistan. You are HOPE, building your own communities & peace. You are not alone. We are All United for PEACE!🌸