戦争…なんと酷い… 🌟だから平和をつくる。市民を、脆弱な人たちを守る!イスラムの教えからの学びの活動!

💐平和をつくる人たちがいる。そこにある希望。

紛争・戦争において、一般市民が極めて大きな犠牲と苦痛を被っている重い事実があります。一般市民が区別されずに戦闘が行われることも多いのです。人びとの生命だけでなく、民間物、民間インフラ、礼拝所、病院、生活手段、環境といったものが損なわれ、戦争の恐怖をさらに高めます。

⭐今回、パキスタンの青年グループの1つが、イスラムは、特定の行為を制限し、非戦闘員、民間インフラ、農作物、礼拝所への損害を禁止してきたという背景から、戦争における市民の保護を学ぶマドラサでの集会を計画し、地域の人びと、マドラサの学生と教師、およびマドラサの代表が参加して行われました!以下、ご報告いたします!

◎集会では、まず、グループのリーダーが参加者にこの活動の目的について説明し、この活動の基本的な目的がイスラムの教えに沿った平和と寛容、そして一般市民や民間インフラの保護の促進であることを共有しました。近年の安全でない治安状況や紛争での様々な事件により、争いの当事者たちが一般市民や脆弱な人びとの保護を考慮していない状況を目にしており、煽動の渦中で人びとは公共物やインフラを破壊し、社会を傷つけているとのことです。イスラムは一般市民、インフラ、環境を保護する明確な法律を提供してきたということが話されました。

◎マドラサの校長は、参加者にマドラサへの歓迎を述べ、イスラムは平和の宗教であり、紛争と戦争に関して明確な規則を定めていると語りました。そして、イスラムはその教えを通じて平和を促進し、戦争の影響を大きく減らしていると話しました。さらに、メッカの征服を参照すると、預言者ムハンマドは、戦闘員とのみ戦い、一般市民と戦わないこと、自宅にいる者に危害を加えないこと、礼拝の場所は尊重すること、木々や農作物に損害を与えないこと、といった指示を兵士たちに与えたと話しました。加えて、マドラサの校長は、イスラムが世界中の人びとに受け入れられ、好まれ、人びとに伝わって恩恵を与えているのは、こうした文明化された規則によるのであると述べ、もし、私たちがイスラムの方法に立ち戻れば、私たちは平和で、寛容で、進歩的な社会を作ることができるのだと語りました。

◎マドラサの教師は、イスラムは、戦争においても、人道主義の概念を世界に提供してきた宗教であると語りました。さらに、イスラムの教えを忘れたことで、世界中のムスリムが紛争に関わり、暴力的な人びとだと思われている、と付け加えました。そして、戦争と紛争、そして一般市民や脆弱な人びとの保護に関する様々なイスラム法について説明し、参照となる歴史を提供しました。

◎また、別の参加者は、過去において自分たちの社会が平和で友好的であり、人びとが互いを思いやっていたと語りました。この参加者によれば、以前は人びとが本当の意味でのイスラムの教えを守っていたので、皆が満ち足りた生活を送っていましたが、現代では、人びとは自らの文化と宗教を忘れてしまったので、平和も失ってしまいました。そして、イスラムが1400年以上前に教示した戦争法は、今も妥当であり、国連は、国際人道法の発展にあたって、イスラム戦争法を取り入れ、その助力を得てきたと話しました。ムスリムでないけれどもイスラムの教えの重要性を知っている人びとは、その教えを取り入れてきましたが、ムスリムである私たちがこうした法を無視しており、それが、多くの分野でムスリムでない人びとが自分たちに先んじている理由だと、この参加者は話しました。

◎集会の後、マドラサの校長は、一般市民と民間インフラの保護を地域の人びとに意識啓発することに加えて、紛争の解決を支援する長老と若者の委員会を作って地域の平和を促進することを参加者に助言しました。また、集会に参加するために時間を割いてくれたことについて参加者に礼を述べ、マドラサでの集会を準備した実行チームに感謝を伝えました。

💐平和をつくる人たちがいる。そこにある希望。