◎「私たちの親戚の間では、女の子が勉強するのは犯罪とみなされている」…何という言葉でしょうか。
◎アフガニスタンでの厳しい女性教育制限下、「それでも学ぶ」と女性たちが通う、「地下学校」ともいわれる「学校」。そうした「学校」に通う生徒の一人の言葉です。そして「私の第二の誕生日というべきだ」とするその日のこと。涙…そして希望。
◎大変な決意の下での運営、通学。当団体ではこうした「学校」に連帯し、サポートする活動を行っています。
◎この生徒が届けてくれたのは以下のようなストーリー。ぜひ、ご覧ください。社会は必ずよい方向に変えることができる。そこに変革を求めて行動する人がいるから。希望と変革をもたらしているから。United for Peace.
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私たちの親戚の間では、女の子が勉強するのは犯罪とみなされている。18歳になる前に結婚しなければならない。皆が学校に通っているのを見たとき、私はほんの7歳だった。父は私たちが学校に行くことを許さず、「お前は結局、新婦になって、行くのだ」とよく言っていた。母の強い主張で、私と姉妹は学校に行くことを許された。
私たちの家族の中で、父親たちから学校に出席する許しを得ているのは何人かの女の子だけで、私たちもその中にいた。人びとはいつも私の兄弟に「恥ずべきことだ」と言った。私は学校で、とてもがっかりしたが、続けた。私の人生は普通に過ぎていた。
カブールが奪取され、アフガニスタンが陥落したと公表されたとき、私は10年生だった。その日、私の世界は破壊された。どこもかしこも恐ろしかった。私はただ泣いていた。父はそのとき、「心配するな、娘よ、彼らは学校を再開する」と言うのだった。
20年前ではないのだが、再び、私たちが学校に行った日は次の年の4月だったが、その時、6年生より上の女の子は追い払われ、さらなる命令を待つように言われたのだ。私たちは姉妹と一緒に家に帰った。たくさん泣いた。全ての学校がゆっくりと女の子に閉鎖された日々だった。学校は、閉鎖された。
ある日、私たちはおばの家に客としていて、そこで、娘たちが学校の話をしていた。私はフラストレーションを抱えていたので、邪魔したくなかった。それを言ったとき、両親が許さないことが分かっていた。で、私は聞いていた。***という学校があって、たくさんの女の子が学んでいて、無料だと私に言うのだ。彼女は言った。「おじさんに言いなよ。一緒に勉強しよう。」
その夜、私は、父は許してくれないだろうと思った。私は話すことができなかった。話すのはとても難しかったが、私は言ったのだ!
父「話しなさい。」
私「そこは学校なんです。いとこと一緒に行かせてください。」
父「我々は自分たちの娘を誰の家にも行かせない。」
その夜、朝まで泣いた。朝、私は母に、父に話すように言った。そして父に話すとき、兄弟が私の後押しをしてくれて、言ったのだ。「自分は、彼女を勉強に行かせ、将来を築かせるよ。」すごくうれしかった。
父はおじに電話をかけ、おじの娘が来て、私は学校に行った。私はとても興奮していた。私たちは学校に入った。何とすごい場所なのだろう!私は喜びで満たされていた。何というべきか分らなかった。英語と諸科目のクラスに行った。
この日は私の第二の誕生日というべきだ。
私たちが夢に触れる場所を作ってくれてありがとうございます。全ての女の子が学べるように、このような学校がアフガニスタンの全ての地方の州に作られることを願っている。
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🌟決意と希望の「学校」。当団体ではこうした「学校」に連帯し、サポートする活動を行っています。https://syncable.biz/campaign/4818 (このクラウドファンディングは完了。活動自体は継続中)
決意を持って行動する現地の仲間たちとともに、引き続き、困難を乗り越え、この活動を進めてまいります。United for Peace.
🍀Dear Friends in Afghanistan. At this critical time, we stand by you. You are not alone. We are All United for PEACE! 🌷